I 万葉歌碑

姫嶋神社境内にある万葉歌碑には「妹(いも)な名は 千代に流れん 姫島の 小松がうれに 苔むすまでに」この歌は河辺宮人(かわべのみやひと)により歌われたもので、万葉集の巻二に収録されている。歌の詞書に「和銅4年(711)姫島の松原に乙女の屍(しかばね)を見て悲しびて作る歌」とある。

 

I 歌の背景

書籍『万葉の歌 − 人と風土』によると、河辺宮人はこの乙女のに関連する歌を、他に5種よんでいます。このことから、この歌の背景に若い男女の悲しい恋物語があったらしいとして次のように想定している。

 

「若者が、ある乙女に恋をしたが、世間の口がうるさくて、ふたりは祝福された結婚ができない。若者は命をかけて将来を契(ちぎ)るのだったが、乙女は姫島で入水をして自害してしまう。悲しみのあまり若者は放浪の旅にでて、紀州、美

保の松原(今の和歌山県日高郡美浜町のあたり)の洞窟にこもり、磯辺の白ツツジを摘んでは亡き少女の面影を追い求めて、その地で生涯を終えた。こんなストーリーだったのかもしれない」と。

 

どんな背景があったのかは創造するしかありませんが、当時の人たちの注目を集めたことだけは確かなようです。