由 緒 と 歴 史
御祭神

​神 功 皇 后

​ジングウコウゴウ

​阿 迦 留 姫 命

​アカルヒメノミコト

​住 吉 大 神

​スミヨシノオオカミ

I ​主祭神  アカルヒメノミコト『 決断と行動の神様 』

姫島は古代難波八十島のひとつであった比売島がこの地に当たると伝えられてきた。『古事記』の応神記には、「昔、赤い玉より化生して美女となったアカルヒメが新羅の王子、天之日矛(アメノヒボコ)の妻となり、常に美食を用意して夫に仕えたが、夫は慢心を起こし妻をののしるので、『わたしはあなたの妻となるべき女ではありません。わたしの祖国へ帰ります。』と言って、難波に逃避行してきた」とある。

 

応神天皇の御代、新羅の国の女神が夫から逃れて筑紫の伊波比(いわい)の比売島、さらに移って摂津の比売島(姫島)に留まったと伝えられている。アカルヒメは夫と別れ、海を渡り、新たな地で再起し女性たちに機織りや裁縫、焼き物や楽器などを教えたことから、多くの女性に親しまれ「決断と行動の神様」として信仰されてきた。

​▶︎リンク   御神徳(ご利益)について     

I ​当社の歴史 『 やりなおし神社 』

明治5年、近郷の崇敬厚く西成郡第5小区の総氏神として郷社に列せられる。創建年代は不明(平成28年現在、姫嶋神社の宮司は29代目)であるが、境内には正保5年(1648)から幕末まで江戸時代の石灯篭が10基あり、江戸時代以前から、産土神として阿迦留姫命(アカルヒメ)を祀っていたと考えられる。昭和20年6月15日の第2次世界大戦の空襲で姫島の約4割が被害にあい、当社も戦火のため社殿、宝物、過去の文献などすべてを焼失、アカルヒメ同様何も無い状態からの出発となったことから「やりなおし神社」ともいわれる。楠社の後ろの楠に戦火の傷跡がいまだに残っており「再出発の木」となっている。

 

姫島は古くから手工業として、木綿織が盛んで、大阪の港であった伝法が姫島とも隣接していたので、商品の流通も容易であった。そのため、姫島も活況を呈し祭りも盛大で、近郷に鳴り響いた2重構造の大きなだんじりを4基所有、昭和初期には10基以上のだんじりを姫島の各町会で所有していた。しかし、戦火などで大部分が焼失した。

​▶︎リンク   再出発の木

​実に微妙な関係

姫嶋神社の本殿に相殿の神としてアカルヒメと一緒に神功皇后がまつられている。相殿とは、複数の神様をまつることであるが、なんとこの神功皇后はアカルヒメの夫であった天之日矛(アメノヒボコ)と、但馬(たじま:現在の兵庫県)の国の娘との間にできた子の子孫なのだ。しかし、時もたっているのでアカルヒメは広い心で過ぎ去ったことは水に流しておられることだろう。

姫島村(大分県)との関係

大分県国東(くにさき)半島の沖あい6kmに浮かぶ小さな島が姫島です。島内には、お姫様がおはぐろをつける時、お猪口と筆を置いたあとが残る「かねつけ石」や、おはぐろをつけたあと口をゆすごうとして水が無く、手拍子を打って祈ったところ水がわき出したという「拍子水」などアカルヒメにまつわる伝承が今も残っています。また、姫島の盆踊りを代表する「キツネ踊り」は内田康夫の『姫島殺人事件』でも取り上げられ、広く知られています。この小説では大分と大阪の姫島とのつながりが描かれている。

 

『摂津国風土記』によると、その後、アカルヒメは難波(なにわ)に移り住み、元いた島の名をとって姫島と名付けたとある。